第一話  中世の夜は暗くてアヤシイ

 

きっと誰もが一度は耳にしたことのあるバレエ「白鳥の湖」は、中世ドイツが舞台となっています。王子ジークフリートが、悪魔ロットバルトによって白鳥に姿を変えられたオデット姫と恋に落ち……、真実の愛だけが魔法を解くのですが、なんと王子はお妃選びの舞踏会にあらわれたロットバルトの妹オディール(黒鳥)をオデットと間違えて求婚してしまうのです。美男美女の燃えるような恋の物語……のはずが、ちょっと間抜けすぎると思いませんか? 

 舞踏会にあらわれたのは黒鳥ですし、本命のオデットは白鳥なのですから、これを間違えたというはずはありません。白鳥と黒鳥が善と悪の象徴にすぎないと考えると、やはり王子は女性の風貌を見分けられなかったのではないでしょうか。中世の物語にはこれに似た間違いがときどき見られます。

 アーサー王物語の中にも……こちらはイギリスですが……、円卓の騎士のひとりラーンスロットが王妃グウィネヴィアに愛を誓いながら、魔法使いの女にだまされて、エレイン姫とグウィネヴィアを間違えるという場面があります。それも二度も間違えるのです。朝になり自分の過ちに気づき、しかもグウィネヴィアにののしられたラーンスロットは、正気を失って二年も放浪するくらい王妃グウィネヴィアを愛しているのです。なのになぜ間違えるのか? 白馬の王子も騎士も意外とうっかり者なのでしょうか。

 その理由は、夜の暗さにあるようです。中世の夜の暗さは半端ではありません。十五世紀までは街灯もあまりなく、明かりは枕もとに置いた蝋燭の細い火ばかりで、それも眠る時には消していたようです。蝋燭はいやな匂いのする獣脂が中心で、質の良い蜜蝋は大変高価なものでした。多分夜半は真っ暗、それこそ赤子のゆりかごや椅子などの家具を手探りでたどらなければ自分のベッドに戻れなかったような状況を考えると、前にあげた物語の件くだんのシーンも納得できるのではないでしょうか。

 中世のベッドの多くは、複数の人で共用する大きなものでした。旅籠(はたご)でも、シングル、ツインなんてものではなくて、数人が雑魚寝するのがあたりまえ。しかも中世の人々は裸で眠ります。彼らはベッドの脇に置かれたながもちに衣服を収納し、ふとんにもぐってから肌着を脱いで寝ました。

 こういう寝室の事情では、さして広くもない庶民の家に客が泊まった場合、とってもアブない夜になったのでは……? 聖職者たちは、このような(別の意味でも)あやうい状況を避けるべく、ひとりが一つのベッドを持ち、肌着をつけて寝ました。

 愛する相手を取り違えるというエピソードにはおそらくこの、夜の暗さが根底にあったと思います。中世の夜は暗くてアヤシイ。でもそれだからこそ、スリリングな恋のもつれやどんでん返しも生まれたのでしょう。


第二話  中世の読書は高くてアヤシイ

 

 中世では書物は「羊の群」とも呼ばれていました。というのも、一枚の羊皮紙はなんと羊や山羊が半頭~一頭分の皮でできていたからです。一冊の本は、ですから何十頭かの羊のなれのはてなのです。

 エジプトからパピルスも入って来ましたが、当時はまだパピルスのほうが羊皮紙の何倍もの価格でしたので、たかが紙、されど……中世の紙はとにかく高い! インクにも手間がかかっています。挿し絵の色づけの顔料には鉱物などを砕いたものを使いますし、金色には金箔を貼ります。

 その上、印刷技術は十五世紀にようやく東洋から伝わったに過ぎず、中世盛期には書物はほとんど手書きで作られました。一冊の本を手書きで写すのには半年から一年、長いものはそれ以上かかり、さらに挿し絵画家、装丁職人の手を経て長い月日を費やされて完成するのでした。そんなわけで、その人件費と材料費その他あわせて、中世の大学生が使う教科書一冊の値段は、教授の年俸の半分~1.5倍くらいだったそうです。ちょっと気が遠くなりましたね。盗難防止のため、鎖で書庫にとりつけられている書物もありました。宝石並みの扱いです。

 値段のことばかり強調してしまいましたが、中世の読書が今と違う点というのは、もうひとつありまして──つまり中世では「読む」という行為は必ず「声に出して読む」ということだったらしいのです。

 読み書きひとつをとっても、紙にたくさん書いて覚えるということは経済的に無理だったので、学問するというときには「音読暗唱」とか「弁論」、「討論会」という形をとられることが圧倒的に多かったのです。

 それがたたき込まれた結果でしょうか、私は理解に苦しみますが、手紙さえも「読む」時には「声に出して読む」のが当たり前だったようです。

 それで機密文書を送るときにはどうするかというと、「これは機密文書なので、秘密が漏れないようにひとりで読んでほしい」という内容のことを手紙の最初に書いておかなければなりません。「黙って読め」とは言わないのです。誰もいないところで手紙や書物を読む時も、声に出して読んでいることをうかがわせる文献が西欧では中世といわず、古代でも見られます。とっても不思議ですが、これは習慣の違いなのでしょう。

 図書館で足音しのばせて沈黙の中で読書する私たちを中世の人々が見たらなんと思うのでしょうか?

 こんなふうに考えると、秋の夜長といわず一年中、好きな時に黙々と本を読むって、高貴で特殊なのかもしれません。

 


第三話 中世の裁判は怖くてアヤシイ

「贖罪(しょくざい)四十日」──これは、中世ヨーロッパ独特の罰で、現在の「懲役何カ月」というのに似ています。「贖罪」というのはここでは主に肉・魚・酒類を断ち、パンと水だけで質素に暮らすということです。

 どんな時にこれが適用されるかといいますと、「やむを得ない事情により盗んだ場合」は十日間の贖罪、「戦時中でなく、強盗を目的に人を殺した場合」は一年のうち続けて四十日の贖罪を七年間、意外に重いのは、「異教めいたまじないや占いを信じてそれを行った時」──これはその内容によって十日間の贖罪というのもあれば、殺人と同じ罰を科す場合もあります。以上は信者の懺悔への司祭の対応のマニュアル本「贖罪の規定書」にあり、自白だから少し甘いということを割り引いて考えなくてはならないでしょう。

 キリスト教化されていたこの時代、ものの考え方全ての基盤が神の教えだったので、異教や古くから残っている土着信仰(今でいうと迷信のようなものですが)、そういうものに傾倒すると「お縄」になります。

 月の満ち欠けでイベントの月日を決めたり、星の運行に頼ったりするのもだめ、今はやりの「風水」や「星占い」も、中世の人々には異教めいた行動と映ることでしょう。

 こういう事情から、異端審問や魔女狩りがいかに厳しかったかを想像できます。

 ちなみに、中世では「四十日」という刑期がよく出てきますが、旧約聖書の「ノアの箱舟」で有名な洪水が四十日続いて、世界を浄化したことからきています。

 裁かれるのは人だけではありませんでした。当時の被告は、豚、牛、犬、猫、ネズミ、モグラ、毛虫、いも虫、バッタ……など多数。裁判費用は領主持ちで、その領収書まで残っているといいますから、実際に動物や昆虫の裁判は少なくなかったようです。

 動物裁判で多いのは、人を危めた動物に対して、後ろ足吊りか、人に負わせたのと同じ怪我を負わせるという判決です。

 さて、昆虫がなぜ裁かれるのでしょうか。それは、農作物を荒らしたという罪です。この場合、不特定多数の被告を相手に裁判が行われるわけです。二週間の召喚期間のうちに現れない(当然ですが)被告に腹を立てて、「破門だ!」と言い渡す司祭を想像すると笑えます。いも虫や毛虫は幼虫で、つまり幼いので出頭は無理だろうと、弁護人がついて申し開きをしてくれることもあります。それで究極の刑罰「破門」を免れて聖水を振りかけるという罰だけですんだという事例もあります。ネズミが出頭しない場合は、道中に天敵の猫が狙っていて危険だから情状酌量。バッタには、別の土地を与えて出ていっていただくという寛大な裁きもありました。

 こういったことを大真面目でやっていたというのですから、当時の人々はよほど裁判が好きだったのではないかと勘ぐりたくもなります。中世の裁判は怖くてアヤシイ……。

<参考文献>
「動物裁判」─西欧中世・正義のコスモス、池上俊一著、講談社新書
「西洋中世の罪と罰」─亡霊の社会史、阿部謹也著、弘文堂

 


 

第四話 中世の愛は明るくてアヤシイ

 

回は、中世の愛についておもしろ悲しく語っていきましょう。どうかしばしの間、おつきあいを。

 

 いきなりですが、中世ドイツの多くの地方では、荘園領主に「初夜権」! というオイシイ権限があったと言われています。いったいこれは何なのでしょうか? 

ちょっとのぞいてみましょう。

 村の若い男女の婚儀があいととのい、親類縁者、近所の人々が集まってどんちゃん騒ぎをしています。ちなみに、婚約期間は最低四十日となっていたようです。ノアの箱舟で有名なあの洪水の期間と同じです。そのくらい経ったら、ものごとの正否がはっきりするだろうということです。

 季節は麦刈りの終わった秋ってとこでしょうか。長い冬がきてからでは、どんちゃんやってられませんから。村の外からも、笛吹きや道化師がおこぼれに与ろうと来るわ、来るわ。そこへ何やらいかめしい旦那の登場。極上の葡萄酒を携えた従者を伴っています。こころなしか鼻の下を長くしているような。そうです、彼が領主様です。

「無礼講じゃ」とか何とか言ったかどうかわかりませんが、従者に酒をつぎ回らせてご満悦の表情。花嫁は髪に花かんざしをつけて、恥ずかしそうにうつむいています。

……ところで初夜権って、何?

「へっへっへ、くるしゅうない、もそっと近う」(領主)

「りょ、領主様、おたわむれを」(花嫁)

「あ、ぼくのハニーに何を!」(花婿)

……なんて想像しましたか?

 実は、初夜権とは、新郎が領主から買い取るという形の、婚姻税なのです。幸せなんだからいいじゃないか、っていう、どさくさに紛れた税金です。清貧を尊ぶキリスト教では、結婚すら必要悪と考えられていた時期があって、それで税金の口実としては十分だったのではないかと思います。

 ところ変わって、もっと北のほう、キリスト教の浸透の比較的遅かったノルウェーとアイスランドに伝わる神話を見ると、こちらの恋愛観はちょっと感じが違います。

「女の心を得たければ、きれいごとを口にし、贈り物を惜しむな。娘の美しさをたたえよ。お世辞を使えばそれだけのことはある」 エッダ・グレティルのサガより 

 北欧の神オーディンの訓言のひとつです。オーディンは地方により、ウォーディンとかヴォータンとか呼ばれ、水曜日(Wednesday)というのも、オーディンの日というのが語源です。万能の神が、女の心をつかむために贈り物をし、お世辞を言う……なんて涙ぐましいのでしょう。神話と言っても、伝承という形で残っていたものが書き記されたのは中世なので、中世の人々の人生観、世界観が十分に反映されていると考えていいと思います。八世紀から十三世紀頃成立したというのに、今に通じるものがありますね。というわけで、中世の愛は熱く楽しいですよ。

                                

参考文献:

ちくま文庫 中世文学集3「エッダ グレティルのサガ」松谷健二訳