第一話 「マスカレードの長い夜」誕生秘話
今まで商業誌になった吉田の小説は中世モノのみですが、
投稿時代は現代高校生の話を書いていました。
時には学園モノをまた書いてみたい……とつのる気持ち。
しかし吉田にとって学園生活とははるか彼方の出来事だ、
きっと死語を連発してしまうだろう……と悩んだあげく、
「そうだ、中世の学園モノを書けばいいんだ」と思いついたのでした。
かくして「中世の明るい学園モノ」をと意気込んだのが
始まりで中世の大学を舞台としたラブストーリー執筆に
いたりました。
中世に大学なんてあったのか、という驚きをこめて。
そして調べるほどに、「中世の学生」はかっこいい!
騎士よりすてきではないか! と感銘した次第です。
(学生と騎士が全く別なものとは限らないのですけど)
ええと……明るいかどうかはちょっとわかりませんが、
きっと異色な世界を堪能していただけると思います。 (7月10日)
第二話 執筆中のBGM考
ボツになった小説も含めると、私の作品には楽器がよく出てくる。
「薔薇の聖燭」ではビオールが、「マスカレードの長い夜」ではフィドルが、他に日の目を見なかったものにもフィドルやチェロなどが登場した。ファンのお便りでも執筆中に音楽を聞くか、どんな音楽を聞くか、という質問をよくいただくので、今回はそれについて書こうと思う。
執筆中に音楽を聞くが、歌詞のわかるものは不可である。間違ってワープロでその歌詞を書いてしまいそうになるから。だからクラシックで静かめのものとか、ミサ曲などを聞く。私はクラシック音楽が好きで、ひとつの曲を気に入るとそのCDばかりか、楽譜までも買い求め、楽譜を見ながらCDを聞いて、「そうか、ここにはこんな楽器演奏が潜んでいたのか」などと発見したり、自らもピアノで弾いてみたりして(下手なのですぐ挫折する)より一層その曲への理解を深めたように錯覚する、というくらいに音楽が好きである。
「薔薇の聖燭」の冒頭のシーンはテレマンのアリア。で、映像的なイメージはというと、馬車の車輪の間から城を見るという感じのカメラアングルだ。途中、ラスト近くで重要なキャラクターが一名、命を落とすが、このシーンはモーツァルトやフォーレのレクイエムサンプラー版をエンドレスで聞く。他にヘンデルの「忠実な羊飼いより」など。
「マスカレードの長い夜」の中に出るフィドルは、ヴァイオリンの前身である。音色はヴァイオリンに似ているが、演奏形態としては、合奏とか、何かの伴奏のようなものであって、チゴイネルワイゼンのように劇的に演奏されることは少なかったようである。しかし、私はどうしても主役の美形キャラにヴァイオリンを弾かせたかったので、無理矢理独奏させてみた(フィドルを)。その曲のイメージは、時代も国も全然違うが、ラフマニノフの「ヴォカリース」である。これは今のところ、この世でいちばん私の好きな曲だ。
ラフマニノフの「ヴォカリース」とは、母音で歌う、歌詞のない歌であるが、あまりに美しい旋律であるためか、いろいろな器楽でも奏でられている。いちばん多いのはヴァイオリン演奏だが、私は「ヴォカリース」をとにかく集めた。十五種類くらい集めたがまだ手に入れていないのもたくさんある。ヴァイオリン以外にも、美しいファルセット(裏声)で有名な男性歌手スラヴァの歌ったもの、許可(Xu Ke)の胡弓演奏のもの、室内楽曲のものなど…。最も気に入っているのはパールマン演奏のヴァイオリンだ。何度聞いてもこれは泣けてしまう。「ヴォカリース」を聞きながら「マスカレードの長い夜」の原稿を執筆していて何度も泣いてしまったが、きっとそれは「ヴォカリース」の旋律のあまりの美しさのためだったのだろう。
「マスカレード…」の主役フォルカが演奏していたのは、私の頭の中ではラフマニノフの「ヴォカリース」だったというわけだ。ラフマニノフは19世紀生まれのロシアの作曲家だが、どうしてもこのイメージに囚われてしまったので、仕方がない。処刑のシーンでは、どういうわけかクライスラーの「プニャーニのスタイルによる前奏曲とアレグロ」。この曲の冒頭のキレの良さがぴったりしていると思った。
もしも私の小説を既に読んだ(あるいはこれから読もうと思ってくださる)方でクラシック好きな方がいらっしゃいましたら、是非、これらの曲も聞いてみてくださいね。
第三話 聴罪師アドリアンの初期設定
「聴罪師アドリアン」で私の趣味が思いっきり出てしまったのですが、そうです。私は「薔薇の名前」や「修道士カドフェル」というような修道士の話が大好きなんです。さて、今日はアドリアンのキャラクターの誕生秘話です。
最初、アドリアンは「ナンパで型破りな翔んでる司祭」という設定だったのです。
そしてコメディ・ホラーを書きたかったんですが、どうも私の作風に合わないと言われて……(担当氏にですが)それでいろいろ考えて路線を変更し、「西欧中世の雨月物語」を目指すことにしたのでした。しみじみとしたホラー。そういうわけで、アドリアンが最初の計画とは正反対に近い性格設定になってしまいました。
性格が変わっていちばん困ったのは剃髪の問題。
ナンパでいい加減で型破りだからこそ剃髪しなくてもすんだのに、まじめな司祭となるとそうはいかないので、彼が剃髪していない理由は何かと懸命に考えました。
いっそ剃髪については触れないで通り過ぎようかとも思ったんですが、担当氏が「それでは読者が納得しない」と言うので、「それなら剃髪させましょう」と言うと、「それもだめです」と。どーすりゃあ良いんだよ、と悲しくなった私ですが。これをどう処理したかは、まあ、本文を読んでいただければわかります。
しかし、アドリアンが剃髪していたら、イラストを描かれるなるしま先生がとても困っただろーなあ、とイラストを見てから思いました。美形はどんな髪型でも美形だと思ったんですけどね。邦画「ファンシィダンス」ではモッくんが丸坊主でも美男子だったし、映画化された「薔薇の名前」では、若い修道士アトソンは頭頂を剃髪していても美青年だったので、「剃髪させましょう」と言ってみたのですが。しなくてよかった。
アドリアンの性格設定が変わってもうひとつ困ったこと。それは、ビアンカとの関係が全然進まないことです。ピエモスというライバル役を動かしていろいろと刺激は与えているんですが、そのたびにアドリアンが「誠意を示す努力を怠ってはいけない」とか、「真に愛し合っているのでなければいけない」とかきれいごとを並べてピエモスに説教をするので、ますます手が出しにくくなってしまうというジレンマ。初期設定では、初対面でキスもしちゃうような軽い男だったのになあ……。
こうして見ると、今まで書いたキャラクターの中で、いちばんオクテでガキんちょだった「マスカレードの長い夜」のフォルカがいちばん手が早かったということになります(それでもキス止まりですけど)。
ともかく、話が思いきりシリアスになってしまったので、アドリアンは今日もストイックな男を演じています。こらこら、見つめ合って終わるなあ……っ。ふう。
というよーなわけでアドリアンとビアンカが急接近するのは決まって悪霊との対決の時。どさくさにまぎれて……と言うような気もしますが、せいぜい、暴れていただきましょう、悪霊&ピエモスくん。 (1997.12.6)
第四話 資料探しは大変…という話
DE RE METALLICA : Georgius Agricola著
これは16世紀にラテン語で書かれた鉱山・冶金技術の本である。アメリカのフーバー(元)大統領に翻訳された英訳の「デ・レ・メタリカ」なら、(夫が昔入手したものだが)自宅の書棚にあった。夫は金属関係の研究の仕事をしているので。さて、英語は得意ではないがラテン語に比べたら読めないこともないだろう……しかし600ページもある分厚い本を辞書を片手に読むのは気の遠くなる作業だと思ったので、手っ取り早く和訳を探そうとしたのである。
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「デ・レ・メタリカ--全訳とその研究 近世技術の集大成」
アグリコラ著 三枝博音訳 山崎俊雄編 岩崎学術出版社 1968.3.31発行
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まず名古屋市の図書館に電話をしてみた。すると、あるにはあったが不明本になっているということだった(あとでそれがどういうことか、じんわりとわかってくるのだが)。そこで東京の出版元に問い合わせたところ、絶版で、在庫もないと言われた。私はおめでたくも出版元に連絡すればすぐに手に入ると思っていたのでさすがにちょっと落胆して、「それではどこで見られるのか」と尋ねると、相手の方は「国会図書館ならありますよ」と言った。あのう……私は名古屋から電話をかけているんだよ。見ることはできても借り出せないではないですか。
インターネットで調べたところ、東京の古書店にあるにはあったが値段を見て驚く。(¥180.000)……学術書は古書となってもあまり安くならないらしいということは知っていたが、これほど値が上がっているのは初めてみたので素直に驚いた(三十年前に発行された時には定価7000円だった)。ものすごくマニアックな本なのだろうか。確かにラテン語という難解な言語(しかも膨大な量の)を訳す、というだけでも大変な作業だと思うし、内容が専門的なのでさらに難しさが増す。ちなみに私は中世の写本を読みたいばかりにラテン語を習い始めたのだが、「写本を読もう」と簡単に思ってしまった無謀さを知った。まず文字の判読が難しいし。以前ロシア語を習った時にはロシア語は世界でいちばん難しい言語だ、などと思ってしまったが、上には上があるのだ。ラテン語の先生の話によれば、ギリシャ語はラテン語よりさらに完了時称が複雑だそうだ。
とにかく、探していた本は絶版になっていて版元にも在庫がなくて、古書店でしか(金持ちしか)手に入らない、とわかったのだった。図書館で不明本になっていたのはとても痛い(早く見つかってほしいです)。
数日後、東京に出張した夫に確かめてもらったが、やはり書名を告げたとたんに古書店の店主に「予算はいかほどか」と問い返されたそうだ。
このようなわけで三枝博音訳の「デ・レ・メタリカ」の入手はあきらめざるを得なかった。しかし、京都大学の工学部のT先生にお願いして京都大学図書館所蔵ものを貸していただくことができた。現物を見た時、思わず拝んでしまった。この貴重な(いや、価格の問題だけじゃなくて……)本の原稿は、なんと翻訳者三枝博音の遺稿の中にあったという。図版に関してはこの和訳版は英訳版より若干不鮮明なのがちょっと残念だ。
ところでなぜ「デ・レ・メタリカ」が欲しかったか? それは次作の小説の資料に必要だったのだ。コバルト文庫のファンタジー小説に、である(タイトルは明らかにしないでおこう。本当に文庫になったら言ってもいいけど)。中世の冶金技術などについて知った上で書きたい設定だったので。「デ・レ・メタリカ」は近世だがとても参考になった。本当にそれが反映されているのは小説の中のわずか数ページにすぎないけれども。「デ・レ・メタリカ」の復刻版が出ると良いのになあ……と切望しているのは私だけじゃない、と思う。
実は、私が欲しいなあ、と思った本で高価なものはまだある。ヴァチカン市国の写真集(¥700,000)と、書名はよく覚えていないが、時祷書のタペストリーのファクシミリ版とかいうもの(¥1,200,000)だ。前者についてはまた別の忘れがたいエピソードがあるのだが、それは違う機会に書こうと思う。
(1997.12.18)
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